まず 素晴らしい曲名だ
ダーリンとミシンを平然とくっ付けてしまって、あたかも以前からそこ
いましたといった佇まい
そして忌野清志郎

別れたりはしない、嘘をついたりしない〜と歌いはじめた
「ダーリン・ミシン」今でこそ違和感がないかもしれないが、当時はど
うだったのだろうか
日本のロックを遡ってみても
RC以前は、ロックたるものこうでなくてはといった、作り手にも聴き手
にも自己制御がかかっていた気がしてならない
ロックの歌詞はこうだろうみたいな
その制御が良い悪いではなく、きっとあったであろうと想像する
そこへ表のシーンから消えたハズのRCサクセションが突如ロックとして
覚醒
ダーリンがミシンを踏み 僕の赤いコールテンのズボンを作っている歌
を歌った
頭脳警察のパンタ氏が
「RCの吹っ切れ方には驚いた。羨ましくもあった。」といっていたが
それはパンタ氏だけではなくて、当時の日本ロック界の素直な感想であ
ったのではないか
「ダーリン・ミシン」
すごく温かみのある曲だと思う 出てくる言葉に温度がある
・ミシンを踏んでいる
・僕のお正月の赤いコールテンのズボン
・暖かいストーブ
・果実酒(1976年のライブではワインと歌い スタジオ盤では果実酒と
歌う)
・卒業してしまった学校のような気がする夜
先にも述べたけれど
RC以前は
ロックはこういうことを堂々と歌ってはいけないという思い込みにも近
いものがあったのではないかと推測
そこへはっぴいえんどやフォークにはみうけられた日常をロックに持ち
込んだ

1. ダーリン・ミシン
2. トランジスタ・ラジオ
3. モーニング・コールをよろしく
4. たとえばこんなラヴ・ソング
5. DDはCCライダー
6. Sweet Soul Music
7. ぼくはタオル
8. ミスター・TVプロデューサー
9. いい事ばかりは ありゃしない
10. あきれて物も言えない
11. 体操しようよ
80年に発表されたチャボ加入後初のスタジオ・アルバム
そんな記念すべき”PLEASE ”の冒頭を堂々と飾るナンバー
「ダーリン・ミシン」
色んな意味で新しい幕開けだったのか
こういったナンバーをロックとして世に送り出したRCサクセション、忌
野清志郎の吹っ切れ方の見事さ
勝利であった

”PLEASE ”

裏ジャケで見られるファンキーでカッコイイ チャボ氏↑
そしてまた貴重な映像
1976年 京都府立体育館 すごいなぁ 感謝!
「ダーリン・ミシン」
「ダーリン・ミシン」収録 ”PLEASE ”
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